Tokyo Weekender Vol. 4 – THE ART ISSUE
記憶の糸(Threads of Memory)
文:Ynes Sarah Filleul
※日本語訳(機械翻訳のため英文とのニュアンスの違いがあります)
文:Ynes Sarah Filleul
※日本語訳(機械翻訳のため英文とのニュアンスの違いがあります)
儚く消えていくものや使い捨てられるものを手で縫いとめることで、 菅野湧己は日常の中で見過ごされてきた質感に、もう一度やさしさを与えている。
一見すると菅野湧己のInstagramは、日常の柔らかなアーカイブのように見える。
そこには、日本の身近なものが、 淡く、ほとんど霞むように刺繍で描かれている。 開けかけのガリガリ君の包み、 半分めくれたカップヌードルの容器、 押しつぶされたエナジードリンクのパック、 そしてシワの寄ったコカ・コーラの缶。
だがよく見ると、思いがけないことがわかる。 そこにあるすべての表面、折れ目、アルミのきらめきまでもが糸によって縫われている。 ときには切られずに残された糸が、ひげのように外へ伸びている。
これらは写真ではない。消費され、捨てられていくものを、繊細な刺繍によって再構成したものだ。東京藝術大学に学ぶ23歳のアーティスト・菅野湧己は、刺繍を通して、世界が忘れていったものに 重みとやわらかさを取り戻している。
使い終えた袋の皺や擦れには、
使い終えた袋の皺や擦れには、
誰かが触れた気配が、ほのかに宿っている。
その痕跡を縫うことで、
消えゆくものと、まだ残ろうとするものの
ちょうどその狭間にある静けさに触れたい。
日常を糸で編み直す
2002年、東京生まれ。デジタル文化の即時性に慣れた世代でありながら、菅野は時間をかけて手で作るという行為に惹かれた。 手を動かすことでしか得られないら持続する「かたち」を求めている。
彼が関心を寄せるのは、消費と儚さのあわいにあるもの。作品の多くは、使い捨てのパッケージや日用品を題材にしている。
「日常で使われ、すぐに捨てられるものを選びます。お菓子の袋や飲み物など、どれも捨てられた瞬間に意味を失う 。でも、その形には制度的な構造と個人的な記憶がやわらかく重なっている。もう一度その形に触れて、そこに何が残っているのか確かめたいんです。」
出来上がる刺繍は、まるで幽霊のような気配をまとう。それは記録された記憶ではなく、「感じられる」記憶をとどめている。 袋の折れ目、指の跡、触れられた瞬間の親密さ——。そこに、彼の言う「記録されなかった記憶の存在」が潜んでいる。
刺繍は、菅野にとって単なる技法ではなく、ひとつの比喩でもある。
「使い終わったパッケージを糸でなぞることは、 忘れられたものにもう一度触れる行為だと思っています。折れや擦れには、かすかに生活と触覚の痕跡が残っている。それを縫いとめることで、 消えていくものと残るもののあいだにある静かな瞬間を探しています。」
つくることの、ゆるやかさ
菅野の制作は、静かに始まる。目の前に置かれた使い終わりの包装をじっと観察し、 かつてそれを手にした感覚を思い出してから、針を取る。
「ロゴや文字のように、記憶の中で強く残っている部分は密に縫います。一方で、裏面の成分表示のような部分は、糸をゆるく、空気を含むように。その密度の差が「記憶の存在」の構造をつくる。完全な再現ではなく、記憶の境界線、あるいは消えかける瞬間のようなものを縫っているんです。」
彼の実践を際立たせるのは、モチーフと技法の対比にある。時間を要する親密な手仕事としての刺繍と、 大量生産・即消費を前提とするパッケージ。
「刺繍とパッケージは、まったく違うリズムで呼吸していると思うんです。一瞬で消費されるものをゆっくり縫うと、そのテンポの差が自然に浮かび上がる。強調しようとは思っていなくても、手を動かしているうちに滲み出てくる。効率や制度の外側にも、もうひとつの時間が流れていて、刺繍はそれを感じ取る手段でもあります。」
「大学では、何を作るか、どう在るかを誰も教えてくれません。自分で問い続けるしかない。その不安定さの中で、自分のリズムを見つけてきました。それが、忘れられつつあるものを残すという態度につながっています。」
今後について、彼はこう語る。
「これからは、形あるものだけでなく、もっと無形の記憶にも向かいたいと思っています。お菓子の袋やラベルのような具体的な形を越えて、記憶が溶けていくプロセスそのものを、糸の層で描いてみたい。たとえば、ふと何かを思い出すときに浮かぶ色や、 言葉にならない感情のかすかな震え。 そんな形のない気配を、静かに縫っていきたいです。」
そこにあるのは、完全な複製ではなく、
記憶の輪郭そのもの、
あるいは、記憶が消えゆくその手前の気配。
可視化のパラドックス
皮肉なことに、彼の繊細な作品を広く知らしめたのは、その対極にあるSNSのスピードだった。
刺繍によるお菓子の袋やオニツカタイガーのスニーカー作品がInstagramやX(旧Twitter)で拡散されると、予想外の注目が一気に集まった。
「SNSでの反応によって、自分の作品がどう届くかを意識するようになりました。 でも、制作の態度は変わっていません。私が縫っているのは、制度や記録の外にある存在です。私の作品が扱っているのは「見過ごされやすいもの」だから、 SNSの画像が流れては消えていく感じと、どこか似ている気がします。 だからこそ、誰かの中で静かに残っていくものであればいいと思っています。」
東京藝術大学で学びながら、 彼は「呼吸するように作ること(breathing in making)」を続けている。
「使い終わった包装の折れや擦れの中には、 かすかな生活と触覚の痕跡が残っています。 それを縫いとめることで、 消えていくものと残るもののあいだにある静かな瞬間を見つけたい。
目に見えているものは完全な再現ではなく、 記憶そのものの輪郭、あるいは消える直前の瞬間のようなものなんです。」
Instagram: @wakumiiii
Website: wakumikanno.com